全日程を終了いたしました。
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現代アート考 第6回
令和2年2月14日(金)18:30~20:00
番外編3 「山口・宇部リレーショナル・アート考」
(講師:田辺哲也)
会場:YCAM 2F多目的室
参加人数 6名
講座内容
現代アート考【番外編】の第3回目。講師の田辺氏は宇部で生まれ育ち、現在は山口市に住んでいる。画家であった祖父とともに幼少時から現代アートの展覧会や、宇部の野外彫刻展、河出書房の『世界美術全集』に接し、2003年の山口情報芸術センター(YCAM)の開館以降は、市民企画 meets the artist(mta)に積極的に参加して観客参与型の新しいアート表現に触れてきた。講座では、「第1部 私の美術体験 art chronicle」で、田辺氏の美術体験の原点とYCAMのmtaの各企画を振り返り、「第2部 リレーショナル・アート概論」で、リレーショナル・アートの思想的背景と代表的な実践例、その発展形としてのソーシャリー・エンゲージド・アートについて紹介頂きいた。まとめとして、高山明氏の「東京ヘテロトピア」やヴェネツィア・ビエンナーレ日本館の「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」を例に、混在郷を体感させるリレーショナル・アートへの期待が語られた。
参加者からの感想や、科目実施を通して学んだこと
YCAMのmeets the artistを振り返るパートでは、「山口市営P」(2008年)や「キモチミエルカ」(2010年)の活動報告DVDによる映像を鑑賞。12年前、10年前の参加者の姿に「若い」という声が次々に聞かれ、懐かしさを感じた者が多かった。
リレーショナル・アートやソーシャリー・エンゲージド・アートの解説に対して、「知らなかった用語や作例も多く、まだまだ勉強しなければという思いを強くした」という感想も聞かれた。配布資料は6ページにわたり、mtaや宇部市における現代アートの展開について詳細な年表に加えて、リレーショナル・アートに関する20件におよぶ詳細な参考文献が紹介されており、受講後に各自が勉強を進める上で役立つものになっていた。また多くの関連書籍を会場に持ち込んで頂き、その場で回覧して頂いたことも有難かった。
質疑応答では、リレーショナル・アートとソーシャリー・エンゲージド・アートについて、前者はヨーロッパ発、後者はアメリカ発といった違いもあるのではないか、といった意見も出た。
現代アート考 第5回
令和元年12月27日(金)18:30~20:00
番外編2 「東京といくつかの地方アート・シーン 1993-2019」
(講師:末永史尚, 東京造形大学准教授)
会場:YCAM 2F多目的室
【問合せ先:藤川】 e-mail : fujikawasatoshi@gmail.com
参加人数 18名
講座内容
現代アート考【番外編】の第2回目。番外編では、通史を相対化することをねらいとし、各自の経験や独自の視点を大切にして、美術の歴史を振り返る。講師をお願した末永氏は、1993年から現在までの美術をめぐる出来事を、1. 個人の出来事、2. 実際に見て印象に残っている展覧会、3. 当時は見ていなかったが後々のアートシーンに影響があった展覧会、4. 美術に関する出来事、5. 大きな出来事、の5つの枠組みで整理した年表を配布。それらについてコメントしつつ講座を進めた。特に、末永さんと同世代のアーティストたちと社会との関係、その上の世代、下の世代でぞれぞれ変化を指摘し、美大を卒業して表現者として活動する足場を開拓するための時代状況が異なっていたことに注意を喚起した。
参加者からの感想や、科目実施を通して学んだこと
末永さんは10月、Do a Front グループ展『Eepiphany Garden 2 ~ 空家のかくれんぼ』展でも出展&レクチャーを鑑賞・拝聴して日常空間に密かに紛れている幾何学パズル的な作品に強く惹かれました。
配布されたハンドアウトにまとめられた、末永さんご自身の高校生のころからのアート体験に基づいた、心に残られた&出展・企画など関わられた展覧会をリストアップ、あわせて各時代の美術界トピック、大きな出来事(主としてアートに対する圧力など負の要因が多かった)など精細なクロニクルを軸にした講義で、なかでも印象に残ったのは新進作家の展示スペースが貸し画廊から商業画廊あるいはそれと相反する Do a Frontのようなオルタナティブな展示空間やコレクティブ(グループ)展、所沢ビエンナーレ(引込線)やヨコハマトリエンナーレなど芸術祭への推移を議論していくことで、そこから芸術活動も単独からコレクティブアートへと変わってきていることで、日本のアートシーンの主軸がよりコレクティブ(協働グループ)、リレーショナル、そして東京中心から徐々にネット環境などの技術革新もあいまって活動拠点の地方への分散または東京・地方両軸とした活動への変化などが読み取れてきました。
また、受講生からの質問からも、アーティスト、キュレーター、ギャラリーオーナー、そして観者(鑑賞者)と立場によって異なったアートシーンの捉え方がより拡張したアートワールドを学んでいく上でもきわめて有効な視座だと思いました。
最後に末永さんがおっしゃった、「みなさんもぜひ各自のアート・クロニクルを記録してみてください」の言葉に、制作や鑑賞と立場は違えど自分自身のアート・アーカイブを構築していくことと新たに色々な立場の方のアート体験から学んでいくことでこれからも現代アートの美学・美術史の研究を進めていく上でもとてもいい視座を頂けたように感じ取れました。
現代アート考 第4回
令和元年11月1日(金)18:30~20:00
第3回 番外編1 「スイス、トゥーン美術館のパノラマ絵画」
(講師:ヘレン・ヒルシュ, 同館館長)
会 場 山口情報芸術センター(YCAM)スタジオC
参加人数 80名
■講座内容
現代アート考【番外編】の第1回目。パノラマ絵画の歴史的展開、トゥーンのパノラマ絵画の作者マルクァート・ボッヒャーについて詳しく解説。アルプス山脈を望む街並みを描いたトゥーンのパノラマ絵画は、1809~14年の制作で、高さ7.5m、全長約38.3メートル、360度の巨大な作品。パノラマ館の建設は18世紀末から20世紀初頭にかけて大流行し、1870年代以降は、ヨーロッパのほぼすべての都市に建設されるほどであったが、第一次大戦の勃発と映画館の台頭によって、ほぼ姿を消す。現在、世界には20か30くらいの例が残っている。講座の最後には、パノラマ絵画とドローン撮影による現在のトゥーンの街並みを重ね合わせた映像資料も紹介されたほか、質疑応答も活発に行われた。
■参加者からの感想や、科目実施を通して学んだこと
パノラマの歴史とその意義、そして現存しているパノラマ絵画の様子を学ばせていただいきました。
1787年、イギリス・ロンドンのロバート・バーカーが360度風景を見渡せるように円周建築物の壁面に制作、その視覚的イリュージョンが見世物として大衆にたちまち流行し、ロンドンからパリ、スイスなどヨーロッパ各地で設置されていきました。今回のテーマであるトゥーン美術館は、1814年に細密画家マルクァート・ボッヒャーによって描かれたパノラマ絵画で、遠くはユングフラウを含むアルプスの山々から、近くはトゥーンの町で生活する人々の様子まできわめてリアルに、細密に描かれていたのが印象的であった。現場に立つとさぞやリアルに、イリュージョンの渦中に投入されることであろうと思われます。
成立の背景には、科学革命に端を発するカメラ・オブスキュラや望遠鏡など光学機器の発明、パノラマ的光景の展開を人類にもたらした鉄道の誕生などの技術革新と、17世紀以降西欧における地理的視野の拡大から風景画の誕生、とりわけカナレット等に代表される都市景観図などから崇高なる山脈の眺望を楽しむアルペニズム、陽光あまねくイタリアへのツーリズム(観光旅行)が生まれ、それに合わせるように絵画空間の中に入り込み、自由に視覚のイリュージョンを楽しむ欲望からパノラマが誕生したわけです。西欧17世紀から19世紀の技術革新に伴う大まかな視覚空間の変遷は、ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』が参考になります。
やがてパノラマは、歴史上有名な戦争の場面のピックアップや、ジオラマという実物の縮尺模型を配置したりして見世物としてよりスペクタクル性を追求していきました。19世紀に入り、パノラマ画師だったダゲールは、1827年にダゲレオタイプという写真術を発明、20世紀はじめ、リュミエール兄弟による映画の発明によって、視覚のスペクタクルの座を失い、急速に衰退していったパノラマだが、現在もこのたび紹介いただいたスイスのトゥーン美術館や、以前テレビ番組「美の巨人たち」でも取り上げられたオランダ・ハーグ近郊スヘフェニンヘンの「パノラマ・メスタフ」など現存しているパノラマ館もいくつか見られます。
パノラマの現代アートにおける意義として、フランスのポスト構造主義思想家ポール・ヴィリリオが『戦争と映画』で述べられていたように、「視覚の記号論理学」つまり絵画空間の中を自由に動き回ることによって観者自体がその画像を構成する不可欠的要素となっていると考えられます。ベンヤミンは、『パサージュ論』のなかの小論「ダゲールとパノラマ」で、「自然を描写する際に、眼の錯覚を起こすほど忠実に再現する試みにおいて、パノラマは写真や映画、トーキーより、ずっと前衛的である。」と、パノラマについてその視覚的イリュージョンの卓越性を述べています。このことは、現在のVRシステム技術の視覚効果への基礎となったことが、鉄道模型レイアウトジオラマの小宇宙世界が大人にも人気を得続けていることも合わせて考えられるのではないでしょうか?
もう一つは、パノラマ装置はやがてミシェル・フーコーの『監獄の歴史』の中で述べられていた、ベンサムが考案したパノプティコン、いわゆる監視装置から現在の監視システム社会への扉を開いたことであろう。視線の内面化、それに先述したように拡大された世界観・宇宙観を一手に収めたいという人類の欲望の具現化とも考えられます。
改めて、人類の欲望と視覚文化との関係と歴史をさらに追究してみたくなった想い出学ばせて頂いた講義でした。
現代アート考 第3回
令和元年9月13日(金)19:00~20:30
第3回 入門編3 文化多元主義と芸術祭の時代
会 場 山口情報芸術センター(YCAM)2F多目的室
参加人数 9名
■講座内容
現代アート考【入門編】の第3回目でまとめの回。冒頭で、第1回目のモダニズム=西洋における19-20世紀美術のマスター・ナラティヴ、第2回目の日本における現代美術史の困難さを振り返った。次に「正史」、「通史」の原義を確認して、世界的にもポスト・モダン思潮の浸透とともに、そうした歴史叙述が困難であることを確認。文化多元主義と多文化主義を比較して、前者が多様な文化の共存モデル、後者は社会におけるマイノリティを対等に扱うための政策を指すことを解説した。国際美術展・芸術祭は、1990年代から世界各地、日本国内でもさまざまな地域で新設されるが、1980年代から2000年代にかけて、文化多元主義が企画テーマや、芸術監督、キュレーターの関心として注目されるようになった。こうした動向は、大きな物語が失効した後の、地域独自の文化・歴史の掘り起こしと軌を一にしていると考えられる。
■参加者からの感想や、科目実施を通して学んだこと
第1講、第2講で学んだいまや西洋現代美術史の正史 Master Narrativeとなり得たモダニズム美術からその批判を受け失効したポスト・モダニズム時代における西洋現代美術、それに対して日本現代美術史、なかでも椹木野衣氏の『日本・現代・美術』で議論されていた「悪い場所」としてのガラパゴス的日本現代美術から伺えるのは、日本は外圧として受けた、テイクオフなきモダニズムから、ポスト・トゥルースとも受け止められかねない伝統への回帰を伴った、解体なき悪しきポストモダンの時代にいままさに我々は投げ込まれている。続いてリオタールの『ポスト・モダンの条件』テクストの概要、つまり「大きな物語の解体」は白き象牙の塔つまり権威化したモダニズム学問や大学のあり方をいったん解体し、歴史観においてもフランス・アナール学派の様に権力側の正史でなく小宇宙・あるいは多島海(アーキペラゴ)としてのミクロヒストリーへの転換へ継承され、ここから文化多元主義へのまなざしが生まれる事を学んだ。しかし、美学者・吉岡洋氏が彼の翻訳書『反・美学:ポスト・モダンの諸相』のあとがきでいみじくも述べられていた通り、知の歴史風土が異なる日本にこの理論を適用するのは、「実利を目的化した学問」のみの崇拝を産み、その根底に流れる歴史や思想を忘却する反・知性主義やポスト・トゥルース思想につながる危険性を伴うと思われた。
後半は、1995年に100周年を迎えたヴェネツィア・ビエンナーレ及び1955年に端を発したドイツのドクメンタに代表される国際芸術祭、日本でも戦後1952年にはじまった日本国際芸術展・東京ビエンナーレ(地元山口県宇部市にも巡回された記憶がかすかにあります)、それに1961年宇部野外彫刻展に端を発し1965から現在のUBEビエンナーレに至る現代彫刻展が、日本の国際芸術祭の始まりで、双方とも90年代以降は多文化主義、西洋美術史から世界美術史への転換を具現化するように変貌しつつある一方、いわゆるグローバル化の波に飲み込まれる様に、同一のキュレーター、画一化された展示内容からビエンナリゼーションなる言葉も生まれている。一方、日本では地域おこしと結びつき、ローカリゼーションとしての芸術祭が興隆してきたが、藤田直哉氏は地域アートから「前衛」や包括性、それに生政治性が消滅しサイトスペシフィックに走るあまりキッチュな個人的なものになり、またアート・プロジュクトに含まれる暴力性の問題も含め『地域アート』のなかで批判している事にも触れられ、、むしろニコラ・ブリオーの関係性の美学やクレア・ビショップの『人工地獄』にも論じられている、芸術祭と観者、さらに参画型アートのあり方にも今後議論を深める必要性が大きいと感じ取られた。
続いて、90年代から現在までの代表的な国際芸術祭のケーススタディについて紹介された。ここでは個人的にYCAMでもお世話になった下道基之氏の記憶と境界を巡る作品群が目を引いた。本来、個人的経験に立脚する記憶や境界の概念だが、これをいみじくも見事なまでに共有体験として捉えられる作品だと感じられた。
ここから講義の最後に紹介された、マイケル・フリード『芸術と客体性』は以前私も大学の特殊講義で講読、のちにこの論文が含まれている『モダニズムのハードコア』も入手し愛読している論文ですが、作品の価値判断・傑作の要件は過去の揺るぎない作品との比較に耐えうる確信がすべてを決め、それは限りなく短い一瞬で十分だという即時性として経験するという一説は、同時に紹介されたグリーンバーグの「一瞬のうちに美術史の交響的な響きがフラッシュバックする」という言葉もあわせ、個人的な価値判断から共有された疑いなき美的経験への昇華であることを学ばせていただいた。
現代アート考 第2回
令和元年7月19日(金)19:00~20:30
第2回 入門編2 日本の現代アート・シーン
講 師 藤川 哲
会 場 山口情報芸術センター(YCAM)2F多目的室
参加人数14名
講座内容
最初に、前回のテーマであった「アートにおけるモダニズム」を振り返り、その後、椹木野衣『日本・現代・美術』(1998年)の「悪い場所」や、村上隆『芸術闘争論』(2010)の西欧ARTヒストリーを例に、欧米のモダニズムに対する距離の取り方を考察した。続けて、大浦信行《遠近を抱えて》、岡本太郎《明日の神話》、Chim↑Pom 《ピカッ》、ヤノベケンジ《サンチャイルド》を取り上げ、私たちの文化的感性を形成してきた作品や出来事の集積として美術史を記述する可能性を論じた。
参加者からの感想や、科目実施を通して学んだこと
1回目のモダニズムからポスト・モダーンアートへの歩みを受けて、対して日本ではどの様にアート・シーンが展開してきたのか、とくにポスト・モダーンと言われた80年代以降を対象に、椹木野衣氏の『日本・現代・美術』と村上隆氏の『芸術闘争論』をテクストにし、アート・ワールド(アーサー・C.ダントー)とアート・シーンの定義の違いとその脱領域化からはじまり、椹木野衣氏が掲げた「悪い場所」としての日本~これまで与えられた歴史の繰り返しで、ドメスティックな(ガラパゴス諸島的な)閉じられた円環~と、対して村上隆氏は悪い場所に安住し甘んじるのではなく、つねにアクティブにコミットし続けることでしか打破できなく、それには「西欧式ARTヒストリーへの深い介入可能な作品制作と活動」しかなく、それによって初めて西欧式ARTのルールも書き換え可能となるわけである。
ボイスのポスト・ARTヒストリ(脱構築)として拡張する社会芸術概念とも呼応し合えるものではないかと感じられた。
続いて、現代日本アート・シーンのケーススタディとして、1986年、富山県立近代美術館で展示されるも、天皇陛下と入れ墨の人物、人体解剖図を同列にコラージュして県議会・右翼団体などから抗議を受け図録の処分を受けた、大浦信行《遠近を超えて》、1968年に制作され2008年東京・渋谷駅のコンコースに設置された岡本太郎《明日の神話》、2008年、広島市現代美術館での企画展のために制作するも、被爆都市広島市民の神経を逆なでして物議を醸し出し中止に追い込まれたChim↑Pom《ピカッ》、そして昨年福島市の「こむこむ館」に設置するも、放射能防護服に身を包み0を示すガイガーカウンターを持たせていたことなどから、市民から風評被害を広める、また放射能値0は科学的にあり得ないなどの批判を受け撤去されたヤノベケンジ《サンチャイルド》と4作品を概観した。
このうち3作品はいずれも社会的に揺さぶりを掛け議論を呼ぶも、結局撤去又は中止・図録の焼却処分等を受けたもので、岡本太郎《明日の神話》も、のちにChim↑Pomの手で福島第一原発のスケッチを付加された経緯も含め(これはバンクシーの自作品シュレッダー処分パフォーマンスと同じく、ある意味予定調和的と見られるのでは?)このほかにも、会田誠氏の回顧展で展示していた《雪月花》への市民団体からの撤去要求や愛知県美術館「これからの写真」展における鷹野隆大氏写真作品の展示変更問題、ろくでなし子氏の起訴事件など表現の自由と権力側もしくは市民感情との軋轢の歴史である事も感じ取れた。
これらの事例から、日本の「美術」と「アート」という言葉にも注目してみると面白い。若林直樹氏『退屈な美術史をやめるための長い長い歴史』および椹木野衣氏『後・美術論』の冒頭で論じていた様に、例えば、現代美術家クリスチャン・ボルタンスキーの作品は、「美術」「アート」どちらとも捉えられるが、尾形光琳の《紅白梅図屏風》は、「美術」として捉えられるが、英語の「ART」ならともかく「アート」ととしてとらえられるかという椹木氏の問いにはじまり、日本語の「アート」とは和製英語で、その音感の好印象のみが独り歩きしているのでは~シニフィアンとシニフィエの乖離とも言うべき現象を起こしているのではと想起。この講義の冒頭に学んだアート・ワールドとアート・シーンの差異と同様とも思われる。しかしこれは決して否定的に捉えるのではなく、例えば前述のケーススタディの如くいわゆる社会に問題提起するものの、陽光を浴びることさえ赦されなかった「残念な日本美術史」とも受け止められるものや、アール・ブリュットなど無名なものすべてを包括し、権威化・制度化されパイの奪い合いに終始せざるを得なくなった狭義のアート・ワールドからの解放するものとして意義がアート(後・美術)に含まれていると思われる。
同時に、「残念な美術史」こそ、ポール・ヴィリリオの「事故の博物館」https://www.youtube.com/watch?v=A_A4z7Li8-0 の如くこれまでの美術史を揺さぶり、グローカルという言葉に象徴される、ローカルの、そしてフランス・アナール学派の手法に学んで micro hisutory(小さな歴史)からの逆照射と、マッシーモ・カッチャーリのアーキペラゴ(群島/多島海)という異なるサイトスペシフィカルな多様性を持った世界の集合として進化することが現代アート・シーンでもあることを学ばせて頂いた。
現代アート考 第1回
令和元年6月14日(金)19時~20時30分
第1回 入門編1 アートにおけるモダニズム
会 場 山口情報芸術センター(YCAM)2F多目的室
参加人数 9名
講座内容
最初に、今年度から新たに始めた「現代アート考」の趣旨説明があり、9月までの前期で入門編を3回開催し、10月以降の後期は応用編であることが紹介された。続いて、モダニズムについて、ジェーン・ターナー編『美術事典』の記述をもとに解説があった。19世紀半ばのボードレールの「近代生活の画家」にその萌芽があり、1920年代に「モダン・アート」という呼び方が一般化し、60年代にC.グリーンバーグの評論によってモダニズム美術史観が確立され、70年代にはフェミニズムからの批判等によって失効したが、90年代においてもその影響は残っていた、という歴史であった。その後、H. H. アーナスン『現代美術の歴史』の第7章から第27章までの各章の要約と作品図版によって、20世紀における美術と建築の代表作を振り返り、モダニズム美術史観に収まらない作例なども確認し、意見交換を行った。
参加者からの感想や、科目実施を通して学んだこと
・入門編ということで参加したら、かなり高度な内容だったので、話についていくのが大変だったが、その分勉強になった。
・後半の通史部分が1冊の本を題材にしていたため、一貫性もあり、その分批評もしやすかった。うろ覚えだった部分を再確認することができて、良かった。
・たくさんノートをとった。紹介された本を実際に自分でも読んでみようと思う。
山口盆地考2018(第11回)
平成31年3月25日(月) 19:00~21:00
講師 吉崎和彦(YCAM学芸員)
テーマ :「上海ビエンナーレ2018報告会」
会 場 山口情報芸術センター・多目的室
参加人数 19名
講座内容
上海ビエンナーレ2018は、上海当代芸術博物館を会場に、2018年11月10日~2019年3月10日の会期で開催された。1996年の開始から第12回目を迎え、中国最大の現代美術展として注目を集める本展だが、今回、チーフキュレーターのクアウテモック・メディナが掲げたテーマは「Proregress –Art in an Age of Historical Ambivalence」だった。「Proregress」は、アメリカの詩人E・E・カミングスが「progress(前進)」と「regress(後退)」を掛け合わせてつくった造語である。
本講座では、展覧会の内容と、巨大な美術館が毎年のように建設され、巨大資本が動き続ける上海のアートシーンを紹介しながら、メディナが「Proregress」というテーマを掲げた意図について考察する。
参加者からの感想や、科目実施を通して学んだこと
参加者は、講師が現地のキュレーターから聞いたという、上海の美術市場の活況と反比例する実験的な表現の減少についての問題意識を共有した。また、万博跡地の活用、私設美術館の建設ラッシュなどを背景に、チーフキュレータ―のメディナが提唱した「プロリグレス(禹歩)」が、中国のみならず現代社会全体について一考すべき問題提起であることも、さまざまな出品作品の解説を通して学ぶことができた。近年では、上海で非営利ギャラリーが活動休止を余儀なくされる状況がある一方、従来保守的と考えられていた北京でLGBTの表現を扱うオルタナティブスペースが誕生しているといった対比も興味深かった。さらに、中国における検閲の話から、日本の美術館で自主規制という名の「見えない検閲」があることをめぐっても意見交換がなされた。
山口盆地考2018(第10回)
平成31年2月8日(金) 19:00~21:00
講師 岡村和典(Yau 一級建築士事務所 代表)
テーマ :「建築を楽しもう」
会 場 山口情報芸術センター・多目的室
講座内容
皆さんは、建築にどんな興味を持っておられるでしょうか。あるいは無関心でしょうか。私たちを取り巻く何気ない建築は良きにしろ悪きにしろ、私たちにいつしか語りかけ、 対話しある時は強要し、身体や精神に関わっています。楽しく美しい印象や快適性、反面、不快感や使い難い、機能性はどうだろうと様々な建築があります。今回私が撮った面白い・元気になる建築をダッシュ・物見遊山し、建築の魅力を楽しく語り合いましょう。
参加者からの感想や、科目実施を通して学んだこと
一級建築士で県内外での豊富な経験や実績のある岡村和典さんが手がけた建築物や近代からポストモダンに至る建築物の紹介を写真やビデオを使って、大まかには4部構成でご紹介いただきました。
第一部では岡村さんがプロポーザルで選出され、手がけられた阿知須にある「きららドーム」や下関にある「海響館」の事例を見ながら、建築の存在が人間に与える影響やその景観にどのように調和させていくのか、自然災害などの外的要因や物理的かつ技術的な問題解決の手法についてのお話を聞きました。また、若い頃に原広司さんの事務所に所属していた時に深く関わった大分県湯布院にある末田美術館の建築もご紹介いただきました。
第二部では近代建築の巨匠3名(フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローヘ、ル・コルビュジェ)のそれぞれの建築スタイルやコンセプトなどを、実際に岡村さんが見て撮影した写真によって、紹介していただきました。
第三部では現代建築として、ブラジルの首都ブラジリアを構想した建築家で都市計画家のルシオ・コスタの下に手がけたオスカー・ニーマイヤーによる自然や人間の持つ穏やかな曲線を生かした建築物の紹介があり、アルヴァ・アールトからの引用で、「建築の目的は物質の世界を人間の生活と調和させることである。建築を人間的にするということは、より良い建築を意味し、そして、単なる技術的なものより、はるかに大きな機能主義を意味する。」という建築の目的や役割、人間との関わり合いが伝わる内容でした。
第四部では、ポストモダンの代表的なスーパーアーキテクト達の紹介があり、日本人建築家ユニットのSANAAやヘルツォーク&ド・ムーロン、フランク・ゲーリーなど、これまでにはない新たな領域の建築物の紹介やスイスとドイツの国境沿いにあるヴィトラ・キャンパスの建築物をビデオとともにご紹介いただきました。
コンピュータでの定式化したアルゴリズム的なデータ処理によって出来上がる建築を危惧しつつ、プロセスを通してのアイデアのひらめきやなにか人間的な本質を建築に応用していく姿勢を大事にされているところがたいへん印象的でした。また、最後に本来の建築の目的に対して、コンペ、指名、入札などの選定プロセスについての課題や問題点も簡単にご指摘くださいました。