森の学校 ~教室が森、森が教室~ 令和元年度 第3回 令和元年8月18日(日)10:00~13:00
第3回森の学校 ~教室が森、森が教室~
「川遊び」
令和元年8月18日(日)10:00~13:00
受講料:1,000円かまどご飯の食事代含む
会 場 山口ふるさと伝承総合センター
山口市下竪小路12番地
第3回森の学校 ~教室が森、森が教室~
「川遊び」
令和元年8月18日(日)10:00~13:00
受講料:1,000円かまどご飯の食事代含む
会 場 山口ふるさと伝承総合センター
山口市下竪小路12番地
まちの未来・イメージ工房
―令和元年度第3回ゼミの御案内―
令和元年9月16日(月・祝)14:00~15:30
コーディネーター 前田哲男氏(山口県立大学教授)
テーマ :「公共政策と行政改革」
会 場 小郡地域交流センター 創作室
(住所:山口市小郡下郷609番地1)
駐車場 有り
参加料 無料
【お問合せ先】 イメージ工房学級委員 棟久
TEL 090-7130-6213 E-Mail iria@c-able.ne.jp
まちづくりの森
~住み良い地域づくりへの思いを持っている人、企業、団体のサロン~
令和元年度 第3回令和元年9月10日(火)18:30~20:30 予定
会 場 県民活動支援センター
パルトピア山口(防長青年館)
(住所:山口県山口市神田町1-80)
開催テーマ 「参加者の実現したいことの発表と今年度取組の決定」
駐車場 有り
参加料 無料
【お問合せ先】 末永光正
TEL 090-3889-5607 E-Mail sue@c-able.ne.jp
家族学研究会 令和元年度 第4回
令和元年8月22日(木) 14:00~17:30
会 場 大殿地域交流センター
※託児あります。(要予約・無料)
現代アート考 第3回
令和元年9月13日(金)19:00~20:30
第3回 入門編3 文化多元主義と芸術祭の時代
会 場 山口情報芸術センター(YCAM)2F多目的室
参加人数 9名
■講座内容
現代アート考【入門編】の第3回目でまとめの回。冒頭で、第1回目のモダニズム=西洋における19-20世紀美術のマスター・ナラティヴ、第2回目の日本における現代美術史の困難さを振り返った。次に「正史」、「通史」の原義を確認して、世界的にもポスト・モダン思潮の浸透とともに、そうした歴史叙述が困難であることを確認。文化多元主義と多文化主義を比較して、前者が多様な文化の共存モデル、後者は社会におけるマイノリティを対等に扱うための政策を指すことを解説した。国際美術展・芸術祭は、1990年代から世界各地、日本国内でもさまざまな地域で新設されるが、1980年代から2000年代にかけて、文化多元主義が企画テーマや、芸術監督、キュレーターの関心として注目されるようになった。こうした動向は、大きな物語が失効した後の、地域独自の文化・歴史の掘り起こしと軌を一にしていると考えられる。
■参加者からの感想や、科目実施を通して学んだこと
第1講、第2講で学んだいまや西洋現代美術史の正史 Master Narrativeとなり得たモダニズム美術からその批判を受け失効したポスト・モダニズム時代における西洋現代美術、それに対して日本現代美術史、なかでも椹木野衣氏の『日本・現代・美術』で議論されていた「悪い場所」としてのガラパゴス的日本現代美術から伺えるのは、日本は外圧として受けた、テイクオフなきモダニズムから、ポスト・トゥルースとも受け止められかねない伝統への回帰を伴った、解体なき悪しきポストモダンの時代にいままさに我々は投げ込まれている。続いてリオタールの『ポスト・モダンの条件』テクストの概要、つまり「大きな物語の解体」は白き象牙の塔つまり権威化したモダニズム学問や大学のあり方をいったん解体し、歴史観においてもフランス・アナール学派の様に権力側の正史でなく小宇宙・あるいは多島海(アーキペラゴ)としてのミクロヒストリーへの転換へ継承され、ここから文化多元主義へのまなざしが生まれる事を学んだ。しかし、美学者・吉岡洋氏が彼の翻訳書『反・美学:ポスト・モダンの諸相』のあとがきでいみじくも述べられていた通り、知の歴史風土が異なる日本にこの理論を適用するのは、「実利を目的化した学問」のみの崇拝を産み、その根底に流れる歴史や思想を忘却する反・知性主義やポスト・トゥルース思想につながる危険性を伴うと思われた。
後半は、1995年に100周年を迎えたヴェネツィア・ビエンナーレ及び1955年に端を発したドイツのドクメンタに代表される国際芸術祭、日本でも戦後1952年にはじまった日本国際芸術展・東京ビエンナーレ(地元山口県宇部市にも巡回された記憶がかすかにあります)、それに1961年宇部野外彫刻展に端を発し1965から現在のUBEビエンナーレに至る現代彫刻展が、日本の国際芸術祭の始まりで、双方とも90年代以降は多文化主義、西洋美術史から世界美術史への転換を具現化するように変貌しつつある一方、いわゆるグローバル化の波に飲み込まれる様に、同一のキュレーター、画一化された展示内容からビエンナリゼーションなる言葉も生まれている。一方、日本では地域おこしと結びつき、ローカリゼーションとしての芸術祭が興隆してきたが、藤田直哉氏は地域アートから「前衛」や包括性、それに生政治性が消滅しサイトスペシフィックに走るあまりキッチュな個人的なものになり、またアート・プロジュクトに含まれる暴力性の問題も含め『地域アート』のなかで批判している事にも触れられ、、むしろニコラ・ブリオーの関係性の美学やクレア・ビショップの『人工地獄』にも論じられている、芸術祭と観者、さらに参画型アートのあり方にも今後議論を深める必要性が大きいと感じ取られた。
続いて、90年代から現在までの代表的な国際芸術祭のケーススタディについて紹介された。ここでは個人的にYCAMでもお世話になった下道基之氏の記憶と境界を巡る作品群が目を引いた。本来、個人的経験に立脚する記憶や境界の概念だが、これをいみじくも見事なまでに共有体験として捉えられる作品だと感じられた。
ここから講義の最後に紹介された、マイケル・フリード『芸術と客体性』は以前私も大学の特殊講義で講読、のちにこの論文が含まれている『モダニズムのハードコア』も入手し愛読している論文ですが、作品の価値判断・傑作の要件は過去の揺るぎない作品との比較に耐えうる確信がすべてを決め、それは限りなく短い一瞬で十分だという即時性として経験するという一説は、同時に紹介されたグリーンバーグの「一瞬のうちに美術史の交響的な響きがフラッシュバックする」という言葉もあわせ、個人的な価値判断から共有された疑いなき美的経験への昇華であることを学ばせていただいた。
第3回 子どもの環境を整える
日時:8月10日 13:00~15:00
場所:山口ふるさと伝承総合センター2階談話室
テーマ:「子どもの権利条約」の内容を知る。
図書館より関係図書を5,6冊借りてきますので、
興味のある所から読んでみましょう。
読みながら、自由なトーキングをしたいと思います。
参加費は無料です。
「子どもの権利条約」ってどんなことなの?
からスタートしましょう。
なかなか読書会は参加者が少ないのですが、
是非、ご参加ください。宜しくお願いします。
参加申し込みは以下です。
街なか大学電話:080-5238-3398
学級委員・藤木:090-9464-7711
までお願いします。
当日の飛び入りも歓迎です。
(学級委員・藤木)
第2回森の学校 ~教室が森、森が教室~
「七夕」
令和元年7月27日(土)10:00~13:00
受講料:1,000円かまどご飯の食事代含む
会 場 山口市菜香亭
山口市天花1丁目2−7 083-934-3312
現代アート考 第2回
令和元年7月19日(金)19:00~20:30
第2回 入門編2 日本の現代アート・シーン
講 師 藤川 哲
会 場 山口情報芸術センター(YCAM)2F多目的室
参加人数14名
講座内容
最初に、前回のテーマであった「アートにおけるモダニズム」を振り返り、その後、椹木野衣『日本・現代・美術』(1998年)の「悪い場所」や、村上隆『芸術闘争論』(2010)の西欧ARTヒストリーを例に、欧米のモダニズムに対する距離の取り方を考察した。続けて、大浦信行《遠近を抱えて》、岡本太郎《明日の神話》、Chim↑Pom 《ピカッ》、ヤノベケンジ《サンチャイルド》を取り上げ、私たちの文化的感性を形成してきた作品や出来事の集積として美術史を記述する可能性を論じた。
参加者からの感想や、科目実施を通して学んだこと
1回目のモダニズムからポスト・モダーンアートへの歩みを受けて、対して日本ではどの様にアート・シーンが展開してきたのか、とくにポスト・モダーンと言われた80年代以降を対象に、椹木野衣氏の『日本・現代・美術』と村上隆氏の『芸術闘争論』をテクストにし、アート・ワールド(アーサー・C.ダントー)とアート・シーンの定義の違いとその脱領域化からはじまり、椹木野衣氏が掲げた「悪い場所」としての日本~これまで与えられた歴史の繰り返しで、ドメスティックな(ガラパゴス諸島的な)閉じられた円環~と、対して村上隆氏は悪い場所に安住し甘んじるのではなく、つねにアクティブにコミットし続けることでしか打破できなく、それには「西欧式ARTヒストリーへの深い介入可能な作品制作と活動」しかなく、それによって初めて西欧式ARTのルールも書き換え可能となるわけである。
ボイスのポスト・ARTヒストリ(脱構築)として拡張する社会芸術概念とも呼応し合えるものではないかと感じられた。
続いて、現代日本アート・シーンのケーススタディとして、1986年、富山県立近代美術館で展示されるも、天皇陛下と入れ墨の人物、人体解剖図を同列にコラージュして県議会・右翼団体などから抗議を受け図録の処分を受けた、大浦信行《遠近を超えて》、1968年に制作され2008年東京・渋谷駅のコンコースに設置された岡本太郎《明日の神話》、2008年、広島市現代美術館での企画展のために制作するも、被爆都市広島市民の神経を逆なでして物議を醸し出し中止に追い込まれたChim↑Pom《ピカッ》、そして昨年福島市の「こむこむ館」に設置するも、放射能防護服に身を包み0を示すガイガーカウンターを持たせていたことなどから、市民から風評被害を広める、また放射能値0は科学的にあり得ないなどの批判を受け撤去されたヤノベケンジ《サンチャイルド》と4作品を概観した。
このうち3作品はいずれも社会的に揺さぶりを掛け議論を呼ぶも、結局撤去又は中止・図録の焼却処分等を受けたもので、岡本太郎《明日の神話》も、のちにChim↑Pomの手で福島第一原発のスケッチを付加された経緯も含め(これはバンクシーの自作品シュレッダー処分パフォーマンスと同じく、ある意味予定調和的と見られるのでは?)このほかにも、会田誠氏の回顧展で展示していた《雪月花》への市民団体からの撤去要求や愛知県美術館「これからの写真」展における鷹野隆大氏写真作品の展示変更問題、ろくでなし子氏の起訴事件など表現の自由と権力側もしくは市民感情との軋轢の歴史である事も感じ取れた。
これらの事例から、日本の「美術」と「アート」という言葉にも注目してみると面白い。若林直樹氏『退屈な美術史をやめるための長い長い歴史』および椹木野衣氏『後・美術論』の冒頭で論じていた様に、例えば、現代美術家クリスチャン・ボルタンスキーの作品は、「美術」「アート」どちらとも捉えられるが、尾形光琳の《紅白梅図屏風》は、「美術」として捉えられるが、英語の「ART」ならともかく「アート」ととしてとらえられるかという椹木氏の問いにはじまり、日本語の「アート」とは和製英語で、その音感の好印象のみが独り歩きしているのでは~シニフィアンとシニフィエの乖離とも言うべき現象を起こしているのではと想起。この講義の冒頭に学んだアート・ワールドとアート・シーンの差異と同様とも思われる。しかしこれは決して否定的に捉えるのではなく、例えば前述のケーススタディの如くいわゆる社会に問題提起するものの、陽光を浴びることさえ赦されなかった「残念な日本美術史」とも受け止められるものや、アール・ブリュットなど無名なものすべてを包括し、権威化・制度化されパイの奪い合いに終始せざるを得なくなった狭義のアート・ワールドからの解放するものとして意義がアート(後・美術)に含まれていると思われる。
同時に、「残念な美術史」こそ、ポール・ヴィリリオの「事故の博物館」https://www.youtube.com/watch?v=A_A4z7Li8-0 の如くこれまでの美術史を揺さぶり、グローカルという言葉に象徴される、ローカルの、そしてフランス・アナール学派の手法に学んで micro hisutory(小さな歴史)からの逆照射と、マッシーモ・カッチャーリのアーキペラゴ(群島/多島海)という異なるサイトスペシフィカルな多様性を持った世界の集合として進化することが現代アート・シーンでもあることを学ばせて頂いた。
第2回 子どもの環境を整える
「子どもの権利条約について内容を知る。
令和元年7月13日(土)13:00~15:00
会 場 山口ふるさと伝承総合センター2階・談話室
問い合わせ先電話 090-9464-7711 (学級委員:藤木律子)
問い合わせメールアドレス sakuramori100@
たくさんのご参加をお待ちしています。
まちづくりの森
~住み良い地域づくりへの思いを持っている人、企業、団体のサロン~
令和元年度 第1回令和元年7月9日(火)18:30~20:30 予定
会 場 県民活動支援センター
パルトピア山口(防長青年館)
(住所:山口県山口市神田町1-80)
開催テーマ 「参加者の実現したいことの発表と今年度取組の決定」
駐車場 有り
参加料 無料
【お問合せ先】 末永光正
TEL 090-3889-5607 E-Mail sue@c-able.ne.jp