『オカルティズムと現代』第6回の報告と次回以降の開催日程について
10月4日(日)14:00~17:00 YCAM2F多目的室にて第6回を開催。出席者6名。
自由発言で話題となった事項と科目に関連した考察など;
・同窓生の集まりによって生じた過去への回想とその心身への影響について。
(記憶の担い手であるエーテル体は時間的本性であり記憶は現在に甦る。内的生命となった記憶が呼び覚ます悔恨羞恥などの負の感情への対応(回避するか対峙するか)は現在の自分の問題となる。)
・発せられた言葉(発語あるいは書かれた言葉)は何処から来ているのか?
その人の意識化された私的根拠からなのか、意識化されていない深部からなのか、個を超えた理想への欣求からなのか、あるいは時代の波を受けた表層反応からなのか? 更には、それを映すこちら側は何処に立ってそれを聞いている(読んでいる)のか? 固定化できない主客の在りようの中に生動する勘所を正しく感知できるかどうか?
・野口整体に限らず、所謂「道」や「術」に秘められた口伝不能の勘所を単なる技と捉えると要所を大きく見損なう。
例えば「合掌行気」を『整体入門』に記された形としてのみ真似たところで整体に通じるかどうかは疑問である。
「気を通す」にしても、言葉では不可得の体験内容こそがその一語を支えており、それなくして技はない。
・体験者には明らかでありながら外からは秘められているかのように見える叡智を本来「オカルト」と称した。
シュタイナーの著作は、魂的霊的世界の体験内容を言語化するという苦闘の精華であり、それを読むことは(単なる知的好奇心の満足に留まらず)言葉を通して更なる内奥の体験へと到る修行とならざるを得ない。
一見理解しやすい『整体入門』もそのような体験内容からの読みを要する精華ではないか。
・Aさんから「化膿活点」の操法ほかを受けたことでそのことを実感。
誰もが野口のような天才ではありえず、また、被験することがそのまま操法に転ずることも困難だが、シュタイナーの神秘学と野口整体は東西の観点の違いを照応させながら「人間」の本質から離れることがない。
それに関連して仏陀の「ヴィパッサナ瞑想法」も併せて紹介。
・個人の性向、感受と観点(立場)の相違がそれぞれの世界観人生観に反映している。
資料としてシュタイナーの「十二の世界観図」「十二の感覚と七つの生命活動」の写しを配布(出典は高橋巖『神秘学講義』角川選書/1980年)
以下は『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』からの抜粋(「実践的観点」P.109~122);
・感情と思考と気分を育成していくと、自然が肉体に与えたような分節化を、魂と霊に与えることができる。
・第一に忍耐することを特別に学ばねばならない。あらゆる種類の焦りは人間の中に微睡んでいる高次の能力を麻痺させ、時には死滅させる。「まったく静かに待ち続けるつもりだ。」
・神秘道の修行は…、感情と思考のいとなみの静かで繊細な過程の中で進められる。
・何をおいても要求と欲望を沈黙させねばならない。(修行の過程で高次の認識を要求することは許されないのだ。)
・自分自身の欠点、弱点もしくは無能な点を誠実な眼で直視しなければならない。
(自分の欠点や弱点を克服する道はただ一つ、それを正しく認識することである。)
・神秘学徒はあらゆる種類の好奇心を捨て去らねばならない。
・神秘修行の完成には特に願望の在り方の教育が必要である。
「何が正しいのかを認識する以前には、どのような願望ももち得ない」(鉄則の一つ)
・怒ったり、不機嫌になったりするときの私は魂の周囲に壁を巡らし、霊眼を育てる力が私の中へ入って来られないようにしている。(常に怒りを克服しつつ、忍耐強い前進を続けなければならない。)
・恐怖.迷信.独断.虚栄心.功名心.好奇心.饒舌など、さらには身分や性や人種のような外的特徴から人を区別する態度もまた克服されなばならない。
・その話題に対して自分が言おうとする事柄よりもむしろ相手の意見や感情、さらにはその偏見にさえもより以上の敬意を払わねばならない。(細心の注意を払って努力すべき繊細な配慮)
⇒ 一切の神秘修行の主要手段の一つである温和さを獲得する。
・真の忍耐の中での温和と寡黙とは魂のために魂界を、霊のために霊界を開示してくれる。
「ふさわしい成熟に達したなら、いつかはそうあるべき自分になるであろう」
・神秘修行を始める際の環境の問題について;(大自然 / 都会生活の中での神秘学の教え)
【文責:学級委員 岡田隆】
次回以降の開催予定日
第7回 11月8日(日)14:00~16:00 YCAM2F多目的室
『整体入門』(ちくま文庫)『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(ちくま学芸文庫)
第8回 12月6日(日)14:00~16:00 YCAM2F多目的室
『整体入門』(ちくま文庫)『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(ちくま学芸文庫)